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東京高等裁判所 昭和39年(う)2517号 判決

被告人 香川香三郎

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人大石隆久、同金子作造連名提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用しこれに対し次のように判断する。

論旨第一(注意義務違反の程度に関する情状)について。

原判決挙示の証拠を総合すると、被告人は、

(1)  進行性筋萎縮症の疑があり、歩行不能で体力が著しく減弱した橘田富士子に対し、治療用として動、静脈用尿路、血管等造影剤である水溶性ヨード化合物の七十六パーセント・ウログラフイン約十ccを、

(2)  関節ロイマチスで歩行困難な大橋りつに対し、治療用として静脈用胆のう、胆管X線造影剤である水溶性ヨード化合物の五十パーセント・ビリグラフイン約四ccを、

(3)  頭蓋骨、裂骨折の丹羽守近に対し、脊ずい造影用として右ビリグラフイン約二ccを、

(4)  頭蓋骨、胸骨、裂骨傷の山本和生に対し、脊ずい造影用として右ビリグラフイン約二ccを、

(5)  心臓性喘息兼肺化膿症兼腎石で、背骨が曲つている本田徳次郎に対し、脊ずい造影用として右ビリグラフイン約二ccを、

(6)  頭蓋骨、頸椎裂骨折の築地佐吉に対し、脊ずい造影用として右ビリグラフイン約二ccを、

それぞれ同人らの脊ずい硬膜外腔(以下単に「脊ずい外腔」と称す)に注入するにあたり、右の各症状を有する患者の脊ずい外腔に治療用または脊ずい造影用として右各薬品を注入することの適否並びにこれらを注入した場合に起りうべき副障害につき病理上及び臨床上何らの知識、経験もなく、自から実験のうえ人体に危険がないことの確証を得たわけでもないのに、右各薬品は、在来使用していたモルヨドールの如き油性ヨード化合物と異なり、水溶性であるから速やかに体外に排泄され、副障害は少なく大丈夫であろう位に軽信し、耐容性及び過敏性についての前試験も行わず、いずれも腰椎に穿刺し、脊ずい内腔に刺入した注射針から脊ずい液が漏出するのを見てから注射針を若干引き戻し、脊ずい液の漏出がなくなつたならば注射針の先端が脊ずい外腔に位置するものと判断し、注射針を抜かず脊ずいに刺したまま、右各薬品の入つた注射筒を注射針に付けて注入する方法によりこれを注入し、右脊ずい穿刺により患者の脊ずい硬膜に脊ずい外腔と脊ずいくも膜下腔(以下「脊ずい内腔」と称す)との交通状態を認めるごとき損傷を生ぜしめたことを意に介しなかつたため、いずれも脊ずい外腔に注入する目的を以て注入した右各薬品を既存の脊ずい穿刺孔から脊ずい内腔に侵入若しくは漏入させ、因つて同人らに無菌性ずい膜反応を起させ、その結果(1)橘田、(2)大橋、(5)太田を死に致したことが明白である。

一  判示各薬品を脊ずい外腔に注入すること自体により直ちに人体に危険な事態の発生する可能性があるとは断定しえない旨の主張について。

なる程鑑定人佐野圭司外二名共同作成の鑑定書、同野崎寛三作成の鑑定書、原審証人鈴木俊次、同森健躬、同栗山重信の各供述、京都大学及び慶応義塾大学各医学部長作成の捜査関係事項照会に対する各回答書、鈴木完夫の検察官に対する並びに長谷川豊男及び水野種一の司法警察員に対する各供述調書によれば、判示各薬品を脊ずい外腔に注入しても、そのこと自体により直ちに人体に危険な事態の発生する可能性があるとは断定されていない。

しかし、右各鑑定書、各証言、各回答書、各供述調書の趣旨とするところは、これを要するに、判示各薬品の注入を受ける者に該薬品に対する過敏症並びに重い肝若しくは腎の機能障害及び全身状態が非常に不良である等の禁忌症状がなく、その他該薬品の使用説明書(当庁昭和三九年押第九一三号の一一及び一二)に示された注意事項の諸条件を充し、特に腰椎穿刺等による脊ずい硬膜の損傷が絶無で、薬品が脊ずい内腔に入らないように確実に脊ずい外腔に注入された場合に限り、且つ、注入薬品の濃度及び量がウログラフインで七十六パーセントのもの二十cc位まで、ビリグラフインではそれより濃度が低く少量であれば、著明な副障害を惹起しないと思われる。従つて、その脊ずい外腔への注入にあたつては、注入に先立ち耐容性及び過敏性についての前試験を行い、前記の諸禁忌症状のある者に対しては注入を避け、注入薬品の濃度及び量を考慮し、若し被注入者の脊ずい硬膜に腰椎穿刺等による損傷があると疑われるときは、その損傷が治療したことを確めたうえでなければ注入しない等の諸点に注意すべく、然らざるときは、たとえ脊ずい外腔への注入であつても、場合によつては人体に危険な事態の発生する可能性がある、というにあると解せられる。

してみれば、判示各薬品を脊ずい外腔に注入することにより人体に危険な事態の発生する可能性があるか否かは、それぞれの具体的事案に即し、その安全性に関する叙上の諸要件が充されていたか否かにより始めて決定されるべきものであり、単に抽象的に、脊ずい外腔に注入すること自体につき論議することは全く無意味であるというのほかはない。

原判決は、その判文にも明らかなごとく、まさにその安全性に関する叙上の諸要件が充されていたか否かを考察したうえで被告人の本件所為につき、被告人が判示各薬品を脊ずい外腔に注入することにより人体に危険な事態の発生する可能性があることに思い及ばなかつたのは、貴重な人命を託されている医師として著しい軽卒と無知に因るものであると非難し、そこに被告人の業務上の注意義務違反があつた旨認定しているのであつて、単に抽象的に、判示各薬品を脊ずい外腔に注入すること自体により直ちに人体に危険な事態の発生する可能性があると断定し、本件注入行為自体を捉えて直ちに被告人に業務上の過失があつた旨認定している訳ではないから、本段の所論は失当である。

二  被告人が判示各薬品を患者橘田富士子外五名の脊ずい外腔に注入したのは誤診ではない旨の主張について。

しかし、前掲各鑑定書、各証言、各回答書、各供述調書によれば、

(甲)  一般的にいつて、

ウログラフインを脊ずい外腔に注入することは、必ずしも適応外ではないが、余り普及しておらず、間々実際に行われているに過ぎず、その主目的は、椎間板ヘルニア、黄靱帯肥厚等の脊ずい硬膜外の病変の診断のための脊ずい硬膜外造影用であるに止まり、その治療的意義は詳かでなく、これを脊ずい外腔に注入しても治療効果を挙げうるとは考えられないから、これを治療用に注入することは適当でなく、現在の段階においては、臨床的通念として、ウログラフインを諸疾患外傷の治療目的に使用することはない。

ビリグラフインは、ウログラフインより毒性及び刺激性が強く、人体組織に対する耐容性が劣り、副作用が存在し、且つ、造影力が劣るため、治療目的には勿論のこと、脊ずい造影目的のためにも、これを脊ずい外腔に注入することは現在行われていない、

ことを窺いうるのみならず、

(乙)  具体的に本件各患者につき考察しても、

(1)  橘田富士子の脊ずい外腔に、治療目的を以てウログラフインを注入することはウログラフインは水溶性のため速やかに尿中に排泄されるから治療効果があるとは全く考えられず、不適当であるし、仮りに脊ずい造影目的を以てするとしても、その診断的意義は疑わしい。

(2)  大橋りつの脊ずい外腔に、治療目的を以てビリグラフインを注入することは、現在の医学常識上治療効果があるとは考えられないから、不適当であるし、仮りに脊ずい造影目的を以てするとしても、診断に資するところがあるとは考え難い。

(3)  丹羽守近、山本和生、本田徳次郎、築地佐吉の各脊ずい外腔にビリグラフインを注入することに治療的効果があるとは全く考えられず、脊ずい造影目的を以てする場合においても、同人らには実際に脊ずい、背柱の病変若しくは損傷を疑わせる所見があつたとは認められないから、先ず診断的意義はないものと考えられ、必ずしも適当な診断方法とは思われない。

というのであるから、原判決が、被告人において判示各薬品を治療用若しくは脊ずい造影用として各患者の脊ずい外腔に注入したのは、不適当な措置であり、従つて誤診であると認定したことは相当であるというべく、本段の論旨もまた理由がない。

三 (1) 被告人において、万一判示各薬品を脊ずい内腔に侵入若しくは漏入させるようなことがあつても、精々一過性の副作用があるに過ぎず、必ずしも人体に危険を及ぼすような激烈な副障害を生ずることはないものと思料したとしても、被告人のごとき開業医の一般水準からすれば、それは甚しい軽卒、無知とはいえない旨の主張について。

しかし、所論が援用する水野種一の司法警察員に対する供述調書に示された同人の見解によれば、判示各薬品を脊ずい内腔に注入した場合必ずしも生命の危険があるとは断定できないが、相当の副作用症状があることは予想されるというにあり、決して所論のごとく単なる一過性の副作用があるに過ぎないというのでないことを明白に看取しうるのみならず、前掲各鑑定書、各証言、各回答書、各供述調書を総合すると、ウログラフイン及びビリグラフインのごとき本来血管内に注入する薬剤は刺激性が大きく、これを脊ずい内腔に注入し又は侵入若しくは漏入させた場合に重篤な副作用が起るであろうことは想像に難くなく、即ち、注入又は侵入若しくは漏入後短時間(約五分)で疼痛、悪心、嘔吐、頭痛、眩暈、四肢痙れん、更に意識混濁、平衡障害、呼吸障害、全身痙れん、シヨツク状態の続発等があり原則として激烈な無菌性脳脊ずい膜炎の発生することが予想され、三時間ないし五時間で死亡するという致命的危険の起る可能性が甚だ大であると推定され、ことにビリグラフインはウログラフインより毒性及び刺激性が強く、人体組織に対する耐容性が劣るから、その脊ずい内腔への注入又は侵入若しくは漏入は更に激烈な反応を起すというのであり、右は、人体の構造、生理機能及び当該薬品の性能に鑑み、現代医学の一般的水準から当然に導き出される結論であると解せられるから、如何に平素研究や実験の機会に恵まれない市井の一開業医であろうとも苟も貴重な人命を託されている医師である以上、万一判示各薬品を脊ずい内腔に侵入若しくは漏入させた場合叙上の重大結果が発生する虞れのあることを当然予見すべき義務があるものといわなければならず、若し被告人にして、この予見を欠いていたとすれば、医師として軽卒、無知これに過ぐるものはないと解して妨げない。

(2) 脊ずい硬膜を損傷するような方法で又は現に脊ずい硬膜に損傷が存する場合に判示各薬品を脊ずい外腔に注入することを回避すべきことは、現在の医学において確立された絶対的義務ではない旨の主張について。

しかし、前掲各鑑定書、各証言、各回答書、各供述調書によれば、脊ずい硬膜を損傷するような方法で又は現に脊ずい硬膜に脊ずい外腔と脊ずい内腔との交通状態を認めるごとき損傷が存する場合に判示各薬品を脊ずい外腔に注入するときは、該薬品が右の損傷個所から脊ずい内腔に侵入若しくは漏入し、その結果右(1)に述べたような重篤な副作用を生ずる虞れがあるから、脊ずい外腔への注入を避くべきであるとされており、記録を精査検討しても、現代医学上その安全性を首肯させるに足りる根拠があるとは認められないから、被告人が冒頭記載のごとく、腰椎穿刺により患者の脊ずい硬膜に損傷を生ぜしめながら、これを意に介せず、敢えて判示方法により判示各薬品を脊ずい外腔に注入したことは重大な過失といわなければならない。

本段各論旨もまた理由がない。

論旨第二(一般的な情状)について。

記録を精査し、これに現われている被告人の本件犯行の動機、罪質、態様、過失の程度、よつて生じた結果の重大性並びに被告人の年令、性行、境遇、経歴、犯行後の情状、被害者ら本人若しくはその遺族に対する慰藉の程度その他一切の事情を総合して考察すると、原判決が(情状と量刑)と題して説示するところはすべて肯綮に当り、所論指摘の被告人に有利な諸事情を考慮に容れ、且つ、当審における事実取調の結果を十分に参酌して、原判決の量刑を目して過重であるとは断ぜられない。

故に論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三百九十六条により本件控訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 坂間孝司 栗田正 有路不二男)

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